03.11
【支援者紹介】出会いを大切にしながら「最高の1枚」を届けたい(カメラマン・内田雅子さん)
「またあなたに撮ってもらいたい」――。一度彼女に撮影された人は必ずそう語る。
老若男女、国内外問わずたくさんの人を写真に収めてきた。ファインダーを覗くわずかな時間、「どうかその人らしい表情、その人の思いを収められますように」と祈りを込める。出会った瞬間から相手の懐に飛び込んでいく天性のキャラクターは、最高の一枚を生み出すために神仏から与えられた唯一無二の贈り物だ。「小動物」と言われることもあるという小柄な体型がさらに愛嬌をかもしだし、「ぶいちゃん」の愛称で親しまれている。「また撮ってもらいたい」という言葉は、その作品はもちろん、彼女の人間的魅力に引きつけられた人々の思いを物語っている。
短大卒業後、写真スタジオでアシスタントとして修業した。「何度も辞めようと思った。でも歯を食いしばって頑張った」という。相手が有名であろうがなかろうが、被写体に対して一貫して変わらない謙虚な姿勢は「カメラマンである前に一人の人間でありたい」という信念からだ。
出版社時代に取材で出会ったダウン症の書家・金澤翔子さん、その母親の金澤泰子さんとの出会いも「カメラマンと被写体」という関係を超えている。翔子さんの純粋な部分にふれた彼女は、そこから人間としての本質を学び、その上でまた新たな気持ちで翔子さんにカメラを向ける。いつしか互いにしかわからない距離感ができあがり、躍動感あふれる作品の数々が生まれた。
「女性カメラマン」。かつてはそう言われることに違和感を感じることもあった。紛争地や危険地帯にも「女性だから」という理由で行くことができず、会社の立場を理解しながらも、もどかしさを抱くこともあった。2011年3月11日に起きた東日本大震災で現地入りの許可が出たとき、決断をしてくれた上司の思いに感謝しつつ、避難所の小学校を訪れた。信頼関係が生まれ、立正佼成会の会員が暮らす仮設住宅に泊めさせてもらうこともあった。その関係は今でも続いている。
2017年9月に出版社を退職し、フリーになった。退職後、出版社時代に出会った人から写真撮影を頼まれることも多い。それが約30年間彼女が「どのような仕事をしてきたか」を表わしている。
生まれて初めて撮影したのは幼い頃、夏休みに家族で訪れた海水浴場でのことだ。父と母が仲睦まじく微笑む1枚。それが、写真家・内田雅子の原点でもある。それでもかつて存在した「瞬間」に胸が熱くなり、家族への愛おしさがあふれてくる。写真には一瞬でそのときに時間を戻す力がある。だからこそ「その人らしい1枚」「思いが表われる写真」にこだわるのだ。
写真の世界もフィルムからデジタルに変わり、急速に変化している。「私自身、変化を恐れず頭をやわらかくしていたい。柔軟な心でこれからも写真を撮り続けていきます」
写真クレジット
1-(c) M.Furushima
2-(c) I.Ishida
連絡先
うちだまさこ
東京都新宿区出身 短大卒業後フォトスタジオ21黒部侑氏に師事。佼成出版社カメラマンを経てフリーに。
公益社団法人日本写真家協会会員。
masakobui@gmail.com
090-4832-3911
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