2021
04.05

「私、再建できました」(後藤秀彰)【1/7】

分かち合い

「私、再建できました」シリーズ1
と き:2020(令和2)年2月9日
ところ:立正佼成会金沢教会

自己紹介

杉並教会の後藤秀彰です。「六花の会」では、東京西支教区の代表世話人のお役をいただいています。支部では壮年部のお役をいただいています。
私は東京都渋谷区で、株式会社サンテックビオズを経営しています。35歳で起業し、今年で26年目です。現在62歳です。今日は、この62年の人生で、体験したこと、考えたことを、お話させていただきます。皆様にとって、何かご参考になれば有難いという思いで、やってまいりました。
私以上に、長い経営のご経験がある方もおいでになると思います。私も、皆様方から一生懸命に学ばせていただきたいと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

起業の経緯について

私は九州・大分県の生まれです。高校卒業後、進学のため、上京しました。大学中退後に「日本流通産業新聞社」に就職し、企画営業の業務をしていました。企画営業は、新聞に掲載する広告を取る仕事で、私の担当は流通部門でした。
あるとき、大阪で200億円の売上を誇るディスカウントショップ経営の会長から、お話をいただきました。「これから先、日本は高齢化社会になるので、健康産業が絶対に伸びる。この事業を一緒にやろうじゃないか」というものでした。
私はサラリーマンでしたので、経営はこの会長がやると思っていたのですが、俺は金は出さないが、これまでのビジネスで得たアイディアを出す。それを全部、あなたにあげるから、それで考えてみなさい」というものでした。いつの間にか、舞台の中央に押し出され、私が起業することになったのです。
その会長にまんまと乗せられたわけですが、サラリーマンと経営者という二足の草鞋で始めることになりました。26年前のことですから、健康食品業界は未成熟でした。いまでは、どこの家庭でも健康食品があると思いますが、当時は、スッポンやマムシのエキスといった精力剤のイメージが強かったですね。
ところが、その会長が「健康産業は必ず盛況になる」といったとおり、一大産業になりました。まもなく、業界の売上が1兆円規模になろうとしています。起業家の先を見る眼といいますか、感性といいますか、経験と実績に裏付けされた考え方はすごいなと、いま、あらためて感じているところです。
皆様も起業時にご経験されていると思いますが、本当に事業を始めるとお金がかかりますよね。いまでは健康食品も簡単に生産できるようになりましたが、当時は先にお金を払わないと作ってはもらえませんでした。
また、事務所を借りたら、前家賃を6か月分払わないといけません。1千万円の運転資金も、熱い鉄板の上に氷をポンと置いたら、一瞬で蒸発するみたいに、すぐになくなってしまいます。起業してから3年くらいは、「どうして始めたんだろう」と、毎日、後悔の連続でしたね。夢と希望はあるのですが、結果が伴わないのです。そういう試練が沢山ありました。
起業してから3年過ぎたときに、健康食品ブームがやってきました。もう、あれよ、あれよ、という間に売れるのです。代理店を200万円で募集すると、「やりたい!やりたい!」とお金を持ってきます。健康食品が入っていた段ボールの中身が全部お金に変わってしまうということも経験しました。
これは経営ではなく、ただ単に運が良かっただけで、どんどん成長していきました。当時、私は30代から40代になり、錯覚を起こしていました。おだてられると、木に登ってしまい、ゴルフも年間100ラウンドという三昧ぶりでした。優秀な社員と優秀な代理店さんがいてくれて、自分が経営しているという感じではなく、やらされているという感じで、ずっとやってきてしまいました。

 続く