2023
12.10

「これまでの仕事での失敗から学んだ人生やマネジメント」佐藤武男【総集編】

分かち合い

1.銀行の合併交渉時に無理をして胃潰瘍で倒れたことや合併時のドロドロの世界

 1995年、三菱銀行と東京銀行との合併に伴う外為部門での約1年間の交渉で、次長として、神経をすり減らし、毎晩終電近くまで残業しました。そのためストレスと過労で胃潰瘍になり、神田駅で電車のドアからころげ、ホームに倒れ、大量出血で一時的に貧血を起こし意識を失いました。3日間銀行を休み、4日目に出社しました。この時体調管理の重要性を思い知りました。また自分がいなければ仕事が回らないと思っていましたが、それは傲慢であり、率先垂範も大事だが、全てに自分が目を配るのは不可能であり、もっと部下を信頼し、委譲して報告をきちんとさせつつ任せることの重要性を悟りました。失敗からどう学ぶか、失敗が自分や会社を成長させてくれると考えることが上に立つ者には大事です。

 銀行同士の合併というのは、お互いの勢力争いの感があり、熾烈で、当時、私は次長という立場でしたが、上層部の役員から「絶対に東京銀行に負けるな」と命じられました。それは「三菱銀行のやり方で合併後やるようにせよ」という意味でした。東京銀行の人とじっくりよく話し合ってみると、東京銀行のやり方にも良い点があるのが分かってきたのです。ですから役員に指示されたからといって、東京銀行のやり方で良いところをつぶすわけにはいかないと思い、私は自分の判断で、役員には「はい」「はい」といっておきながら、交渉は是々非々で進め、業務運営で良いものは取り入れました。それが結果的には東京銀行の人の信頼を得たようで、交渉がスムースにいき、なんでも三菱のやり方がいいのだと思って強引に交渉を続けていたら、合意ができず決裂していたかもしれませんでした。

 あとで、役員から「君はどうしてこの分野は相手の銀行のやり方に譲ったのだ」と責められましたが、その時私は、「三菱銀行の外為分野をより発展させようと以前から思って考えていたやり方を、東銀が既にやっていたので、それを取り入れただけです。いわば発展形なのです」とうまく切り返し、説得しました。そうしたら、役員も「言いくるめられているような気がするがまあいいや」と認めてくれました。会社や組織の中では、上司の顔をつぶしてはいけませんが、言いなりになるのもよいことではありません。大義を持ち、自分の信念でこれが正しいと思ったら、方便を使ってでも、うまく上司を誘導して理解してもらうようにする智慧を身に着けたいと思います。

2.取引先への融資約束の勇み足の失敗

 私は三菱銀行の香港支店に6年間働きましたが、その時、取引先の華僑の社長から1億円の運転資金の融資の申し込みを受けました。この金額は、その会社にとっても売上増加に伴う運転資金として必要なお金だし、香港支店としても大事な取引先だったので、私は「本部を説得してちゃんと稟議を通しますので大丈夫だと思います」と約束してしまいました。このため詳細の明細をつけて稟議書を本部に送り、電話でも丁寧に説明し説得しましたが、本部の審査部門は厳しく、最終的には半額に減らされました。本部から「1億円は無理だ。5,000万円が精いっぱいだ」という連絡がありましたので、私はその理由を尋ねました。すると本部は「華僑の取引は実態がよく分からないことが多く、リスクを減らしたい」といいます。

 確かに、融資先は華僑の会社ですが、香港では実績があって、資金使途や返済原資などは明確になっていました。しかし、本部では「華僑だ」というだけで、何か胡散臭いものを感じてしまって、あまりリスクを負いたくないという理由から、5,000万円ということなったのです。
 私もずいぶん粘って本部と交渉したのですが、最終的に融資額は5,000万円ということになりました。この時、審査が厳しすぎることに内心面白くなかったのですが、自分に足りなかったところは何かと反省し、なんとか前向きに捉えようと努力しました。

 私は、覚悟を決めて、華僑の社長のところに行って「約束したのに融資額が半分に減額となり申し訳ありませんでした」といって頭を下げました。ただ「あなたの会社とは取引してまだ長くないので、Step by Stepでさせていただきます。今回はとりあえず5,000万円を融資させていただき、1年後に商売が順調に伸びてゆけばさらに2,000円万増加、その後にまた3,000万円増加を融資し、最終的に1億円になるようにしていくつもりでご支援していきます。今回はこれでお願いします」と頭を下げました。そうしたら、社長も「Mr. SATOがそこまで言うなら分かった」と承知してくれました。冷や汗でびっしょりでした。
 こちらが私利私欲なくお客様の発展のため、香港の発展の為に何とかしようという純粋な気持ちが勇み足になってしまいましたが、お客様の社長は私の言動をよく見ていました。こうした失敗があったことが逆に、香港の華僑から信頼を得て、それまで以上に親密になることができました。

3.アメリカ勤務での体調管理の失敗や溌剌さの欠如

 アメリカのロサンゼルス支店に副支店長として単身赴任で勤務していた時に、過労で倒れたことがありました。朝起きると激しいめまいがして歩くのもやっとだったのですが、その日は大切なお客さんとアポを取っていましたので、支店に向かいました。ロサンゼルスは電車があまり走っていないので、行員もすべてがマイカー通勤です。朝食は食べようとしましたが、戻してしまい、体が受け付けませんでした。私は駐車場まで這うようにしてゆっくり歩き、高速道路を飛ばすのはさすがに危険だと思って、一般道を慎重に走って銀行に向かいました。銀行に着いてもめまいが治まらないので、しばらく応接室のソファで横になっていました。
 10時過ぎに、部下が車を運転してお客さんのところに行き、いろいろと交渉して、なんとか無事終わりました。取引先に行った後、医者に行き、脱水症と過労と診断されました。
 私は6年間単身赴任ということもあって、日ごろからもっと体調管理には気を配るべきなのに、過労や前日の水分不足がめまいにつながり、そうしたツケがこんなところに出て、大いに反省しました。
 またある時、お取引先を訪問した際に、用件が済んだあと帰り際に、お客様の社長から「君は単身赴任だろう」と言われ、私は「そうですが、よくわかりましたね」というと、社長から「顔に単身赴任の相が出ている」と言われ驚きました。単身赴任して4年目でしたが、自分では気がつきませんでしたが、顔の表情に寂しさがにじみ出ているとのことで、これではいけない、上に立つ者はもっと溌剌(はつらつ)として明るくしないといけないと大いに反省しました。

4.ニューヨークの同時多発テロとアメリカ人の心の奥

 ロサンゼルス勤務時代で忘れられないことは、2001年9月11日に起こったニューヨークの同時多発テロです。その時、行方不明の飛行機一機がロスアンゼルスに向かっているという情報が流れました。当時、私たちの支店はロスアンゼルス(ロス)で2番目に高いビルに入っておりましたから、テロの標的になって飛行機が激突してくるのではないかと、皆不安に駆られました。アメリカ人の部下たちが「テロが危ないので家に帰りたい」と泣きながら訴えてきました。
 この緊急時に、支店長は出張で不在のため、副支店長の私は、自分の判断でアメリカ人スタッフ100人に「急ぎの要件を片づけ上司に報告したら、自宅に帰って待機してよい」という指示を出しました。一方15人いた日本人の行員には「危なくなったら退避するが、東京本部への報告もあり、退避指示を出すまでは残るように」と命じました。結局、ロスではテロは起きませんでしたが、それにしてもアメリカ人のテロの対する恐怖というのは異常なほどでした。

 この日、ニューヨークのワールドトレードセンター・ビルに飛行機2機が突っ込み、多くの人の尊い命が犠牲となりましたが、その中にロス支店の取引先の財務部長さんがいました。ロスへは単身赴任だったのですが、3.11の早朝、出張先でのボストンでの仕事を終えてロスに向かっていたのです。後日、財務部長の社葬がロスで営まれ、日本から奥さんと息子さんがお見えになりました。息子さんは弔辞の中で「私は今回のテロの出来事は悔しいですが、仕事で倒れた父親を誇りに思います。いつか父のような世界を相手に仕事をする人間になりたいと思ってきました。まだ教えてもらうことが沢山ありました。大好きな父の大きな背中にもう少し甘えたかったです」と悔しい気持ちと悲しみを述べました。その言葉は参列者全員の涙を誘い、私も泣きました。

 こうしたテロが起きて、アメリカ社会は騒然としましたが、アメリカ人の中には「アメリカは、アメリカ型の民主主義をイスラム世界はじめ多くの国に押し付けたのではないか」と謙虚に反省する人もたくさんいました。私の部下のアメリカ人も、「そうしたアメリカの自分たちのやり方が一番正しいのだという考え方を見直さなければならない」と言っていた人もいました。ところが、当時のブッシュ大統領は「目には目を」ということで戦争を始めてしまったので、そうした反省の声もかき消されてしまいました。そうしたことから一時期、私はアメリカ人が嫌いになりましたが、アメリカ人の中には素晴らしい人もたくさんおり、表面的に見るのではなく、アメリカ人の心の奥をもっと素直に見てあげるべきだったと反省しています。

5.部下の事務ミスによる為替損失事件

 私が外為事務部の部長時代に、部下が外為送金の時、為替の売りと買いを間違えて、数百万円の損失を出してしまったのです。部長だった私は、「私の責任です。私の管理監督が不行き届きで申し訳ありませんでした」と私は人事部や関係各部に謝り、結果責任を取りました。基本動作の確認とダブルチェック体制を強化して再発防止を図りましたが、ボーナスは大幅に減少されました。
「良い結果は部下の手柄、部下の失敗は上司の責任」と理屈ではわかっていましたが、実際そういう事態になると、「なぜこんな初歩的なミスをしたのだ、せっかくの自分のやってきた成果が帳消しになる」と責めたくなるような心の葛藤があったことも事実です。人間とは弱いものです。でも上に立つ人間はそれだけ重い責任を持っているということです。リーダーとはそういうものです。

 今振り返ってみても、いろいろと失敗はありましたけれども、こうしたことがすべて無駄にはなっていません。それがその後の色々な成功につながっているという意味では、失敗も成功と同じように価値があることと実感した次第です。

6.失敗も成功も同じように価値がある、物事を二元論で考えると視野が狭くなる

 自由、不自由ということも、不自由があるから自由が感じられるのだと思います。自由ばかりでしたら、自由とはいえなくなるものです。善悪にしても、悪があるから善があります。このように考えていきますと、失敗があって、それを糧にして一生懸命努力するから成功するのだといえます。もし、成功ばかりだったら、それは成功とはいえません。ですから、失敗も成功と同じように価値があるのだという仏教的な考え方を、その先輩から教えていただいたのです。仕事の上で失敗を価値あることとして、どう前向きに考えていくかで、その後の仕事が全く変わっていくことを認識して頂きたいと思います。

 こうした「発想転換」をすることはとても重要です。成功のためにはある程度の困難やハードルがあった方が遣り甲斐があり、モチベーションが高まるのです。「災い転じて福となす」のように「ハンデは力になる」のです。

 「物事を二元論で考えない」ことが大事です。自由は不自由がないと成り立ちません。死があるから、生が成り立つのです。紛争があるから平和の尊さが分かる。権利についても責任があるから成り立つのです。成功も失敗があるから成り立ちます。物事を一面だけで考えず両面を見る(利害が異なる両者の言い分を等しく聞く)習慣をつけることや、物事をAll or Nothingで見ずに、中間で折り合いをつけて解決する方法など「中道の精神」も重要です。特に交渉事では中道の精神は重要で、相手との言い分を聞き、こちらの言い分も主張し、双方が譲り合える接点を見出して合意するのです。交渉などで色々な悩みや苦しみがありますが、それには原因がありますが、その原因を逃げずに解決する覚悟を持って実態を多方面から見たり、部下から聞いたり、専門家の知見を仰いだりすると、解決の糸口がひらめいたり、見えてくるものだとこれまでの経験から実感しています。

7.香港に貿易センターの新設に挑戦し、反対する社内の人を説得して開設へ

 私は、若いころに香港に勤務していましたが、外為事務部長時代に、香港に貿易の事務センターを開設し、日本での外為事務の一部を社内アウトソーシングすることができました。本部の人の中には、「香港で本当に大丈夫か。香港に出したら事務がいい加減にならないか」と貿易事務センターの新設に反対する声が多くありました。香港のイメージが「何となく混とんとしていて危なっかしい」イメージがあったからです。
 私は「危ないことはありません。香港は世界でも名だたる貿易港で、香港上海銀行や長江実業をはじめ一流の企業があり、貿易業務に携わる人が多くいて、英語ができ、貿易事務力も高いのです。香港に6年間いたのでよく知っています」ということよく説明したが、中々納得してくれませんでした。
私は香港に6年居たので、香港で問題ないことはよく知っていましたが、香港を知らない人は悪いイメージが先行しているので、心の中で「外野にいて何を評論家的なことを言っているだ」反発しながらも、説得をしっかりしないと実現できないなと覚悟を決めました。あの手この手で各部に説得を繰り返し、次第に賛同してくれる部も出てきましたが、企画部などは消極的でした。

 最終的に私は頭取に直接お願いをしました。私は頭取に「世界の銀行はグローバルの中で最適な場所で事務をやっています。自国の中だけで固執していてはコストやスピードなどで劣後しかねません。貿易サービスでお客様は、迅速で低価格で品質の良いサービスを当行に求めています。率先して業界をリードすべきです」、「アジアの中では、香港が、英語人材の多さ、貿易に精通した人材の多さ、通信コストの安さ、インフラの整備、法体系、日本との時差が1時間しかないこと、人件費、勤勉性などから最も適しています。」と熱く説明しました。頭取も最後は「その通りだと思う」と納得頂き、自分の考えが独りよがりでないことを確認し、役員会に上程されました。

 色々な役員から「香港に新設するのは心配だ」という不安の声が出たましが、その時、頭取が「外為の部長が責任を持ってやると言っているのだから、やらせてみようではないか。これはお客様に喜ばれるサービスであり、当行の将来に必要なことである」と言ってくれました。その発言で、一同承認となりました。その後、香港支店や本部各部の協力を得て、人材、事務、システム、言語、権限決済、当局許可、顧客対応などを解決してようやくスタートできました。

 私はこの貿易事務センターは自分の欲のために新設したのではなく、日本で事務のプロセスをするより、香港でやったほうがコストは安くなり、その分お客様が銀行に払う手数料を下げることができ、日本と同じ品質が確保出来たらお客様の満足が増し、お客さまの貿易発展と、日本の貿易促進に役立つという志とビジョンがありました。もし自分の執着と名誉欲のために行なっていたら、間違いなく失敗しただろうと思っています。

 新しいことや改革をしようとすると、大いなる智慧を働かせなければ成就できないものです。その智慧とは、将来のあるべき姿を示し、私利私欲からではなく、目的、必要性、投入資源、効果などについてどれだけ相手の立場に立って説明できるか、説明責任を果たすことが大事になります。しかも、説得するには相手からの共感を得ることが必要です。
 企画を考えたら、上司をはじめ、社内で関係する人を説得して企画案を通さなければ実行できません。相手を説得するには、企画の中身の論理性も重要ですが、こちらが語る未来の可能性や新しい価値に相手が共感し賛同してくれることが大前提になります。そして、上司にも「君がそこまで言うのだったら、やらせてみようか」と思わせることです。共感を得やすくするには、日ごろから徳を積んで、職場での人間関係を良好にしておくよう心掛けなければなりません。こうして社内で合意ができ、実行に移されて、成果が得られます。人は人徳ある人には協力するものです。それが「企画→説得→共感→人徳→合意→実行→成果」の図式になります。
 新しい企画の実現の難しさについて、「企画案件が実現できないのは、その内容が難しいからではない。社内の反対派や慎重派の人びとを説得しきれずあきらめて実現できない。それが7割以上だ」と言われており、お互い様、肝に銘じたいものです。

8.電子貿易決済サービスの開発を世界の銀行と組んで実施、中国側の説得に苦労

 従来輸出入者と銀行との間でやり取りを行う貿易書類は紙ベースであったため、時間とコストがかかり、輸入港に貨物が到着しているのに引き取れないなどお客様の不満が多くありました。
 このため、こうした書類を電子化して事務処理を簡便にし、かつL/C決済が持つ安全性が維持された形でのスキームが必要になりました。

 私は、この世界的なプロジェクトに2003年から2009年まで関与し、三菱UFJ銀行代表というだけでなく、日本代表として世界の銀行12行と貿易電子化諮問委員会にメンバーとして参加し、日本企業の意見や銀行としての見解を表明し、貿易電子化の開発に携わることができました。貿易電子化の基本的概念は、貿易取引や決済の電子化を図ることにより、企業の輸出入貿易の管理や決済の迅速化・簡素化・リスク軽減・コスト低減等を実現することにありました。

 2007年6月、国際銀行間通信協会(SWIFT)が世界の主要銀行と提携し約4年間検討した結果、電子貿易決済システム (Trade Service Utility:TSU)が完成し、貿易書類のデータがシステム上で管理できるようになりました。私は2007年9月に三菱UFJ銀行とイトーヨーカ堂(輸入)が組んで、中国の縫製メーカー(輸出)と中国銀行の4社で貿易電子化に成功させました。

 ところが中国の縫製メーカーは難色を示し、「よくわからないし、今のやり方で不満はないのでやらない」と言ってきました。私は国際電話で中国の輸出企業に何度も電話し、いかに安全で、早く決済でき現金が入金されるかを説得し、輸入者からも援護支援して頂きました。
しかしなかなかOKが出ないので、輸入者と相談し、知恵を絞り、輸出者に「この新しい決済手法を導入すると現金化が今よりも3日早くなり有利になること、導入してくれれば輸入量をこれまでより増やす」ことなどを示したところ、ようやく了解が取れました。

 何事も新しいことを始める時には、人は慎重になり、時には否定的になるもので、それをどう説得するかの知恵が試されているとあきらめなかったことと、これはグローバルで必ず顧客に喜ばれるサービスになるという信念があったのが良かったのかもしれません。

9.外国企業との合弁会社設立での交渉時に信頼関係で失敗、コミュニケーション文化が異なる

 今の会社で、日本での外資系企業の施設管理業務を行うために、フランスの企業と当社とで合弁会社設立の交渉をしていた時の失敗です。出資比率や役員数も決まり、当社側が主導権を取りつつあった時です。フランス側から、取締役会での決議方法について、重要な事項は「多数決」ではなく、「全員一致の決議」で決めることを提案してきました。

電話会議で、当初、私が聞いた時は、大きな会社の変化など重要な事項(23項目)について全員一致決議は基本的には理解できると答えました。翌日弁護士に相談すると「あまりにも細かいことまで全員一致決議にすると、煩雑になり物事が進まない」との助言を受け、半分は多数決で決められる内容なので、全員一致決議は11項目にすべきと、見解を変更して主張しました。
するとフランス側は反発して、「先日あなたは原案に理解できるのでそれでよい」と言ったのに、変更するとはどういうことかと言ってきました。こちらが弁護士と相談した結果、考えを変えたといっても、「弁護士意見を聞いているのではなく、佐藤の考えを聞いている」と反発してきたので、売り言葉に買い言葉となり、信頼関係を壊してしまったことがありました。

その後、信頼関係を修復するのに苦労しましたので、もう少し説明の仕方に配慮すべきだったと反省しましたが、最終的には合弁会社ができました。グローバル化を進めるということは、こうした交渉やものの考え方や異文化の差異を乗り越えていくことで、苦労が多いですが、遣り甲斐もあります。

 また外国企業との合弁会社には、経営スタイルや文化の違いがありますが、経営上の交渉ではビジネスコミュニケーション文化の違いを互いにどう理解し、乗り越えるかは大きなポイントになります。出資比率などタフな交渉が多くありましたが、交渉とは、相手との共同作業であり、一方的な勝ちはなくこちらの利益や価値をできるだけ高めつつ、相手にもメリットが出るような接点を見出す営み、といえます。外国人とコミュニケーションを行う際には、日本人のコミュニケーションスタイルが高コンテクスト文化に位置づけられることを自覚して、あいまいさを排し、明快でより具体的な言葉遣いをすることが重要となっています。
 フランス人は本音を中々出さず、プライドも高く、ある提案に対しYESでもNOでもなく慎重に検討したいとはっきりせず、本音は別のことを考えていることがあります。心の中で何を考えているのか読み取れず、交渉がやりにくい。合意に歩み寄りができるまで、何に不満を抱いているのかそれを引き出すのに時間を要しました。

 フランスは「察する文化」「空気を読む」「本音と建前が異なる」というハイコンテクストの部分と、「文字通り明確化・文書化しあいまいさのないコミュニケーション」を好むローコンテクストの部分があるので、中間のミドルコンテクストに属するといわれていますが、実際の交渉場面では両方のコンテクストを場面に応じてうまく使い分けしていると感じました。日本側はフランスについて、ミドルコンテクストの文化の国ということをある程度認識した上で交渉に臨んだので、苛立つことも少なくなったが、それでも両者の火花は随所で散りました。
 アジアの国々は総じてハイコンテクスト文化が多いと言っても、中国人と日本人の間の交渉では、文化の歴史的土壌が異なるので、真意がうまく伝わらず誤解が生じやすいので、相手はローコンテクスト文化だと初めから思って、はっきりとした意思表示で交渉を行うことが必要と思われます。

 今後グローバル化の進展に伴って、国をまたぐ交渉などは一段とローコンテクストの方向に動いていくと思われるので、日本人はローコンテクストを意識しながら、グローバルビジネスを進めていくことが重要と考えます。コミュニケーションギャプは、言葉の表現のギャップの問題ではなく、双方の文化や政治や社会の違いや歴史の違いからくる認識のギャップといえます。

 海外とのビジネス交渉や外国人との意思疎通は、その国や民族のコンテクスト文化を事前によく理解すると共に、相手を尊敬し信頼関係を築きながら双方が主張すべき点は主張・説得し、双方にとってぎりぎり譲歩できるバランスの取れた落とし所を探していく論理力と情熱を磨いていくことが特に求められると考えます。

10.経営者が行動を起こさなければ、組織は惰性に流れる。健全な危機感を持つ

 時代の変化やお客様のニーズの変化に柔軟に対応して、新たなことに挑戦していかないと時代に遅れてしまいます。従来通りの仕事を進めているだけでは通用しなくなりました。
社員の多くは変化に対して慎重であり、変化を好んで変えようとはしません。

このような状況を変えることができるのは経営者です。会社として進む方向を示し、社員に課題を与え、当事者意識を持ってもらい挑戦させていくことが重要です。会社として進む方向を示すことは容易ではありません。朝礼や社内メールや社内報や社員との直接の対話など多くのツールを使って対応します。社員を鼓舞し、頑張って成果を挙げた社員には適正に評価してあげることが求められます。
経営者が行動を起こさなければ、組織は惰性に流れるのです。常に「これでいいのか」と悲観的になる必要はありませんが、健全な危機感を持つことが大事です。経営者が自ら起点となって社内で変化を起していく仕組みや組織を作ることが必要です。
大手社員フィルムメーカーの事例:写真フィルムがデジカメによって駆逐され、必死に性能の良いデジカメを開発して市場から高い評価を得たが、スマートフォンの写真機能の向上に伴い、デジカメがスマホに取って代わられつつあります。

11.高い志、情熱、謙虚さ、素直さを持って行動することで道は開ける

 経営者は日本や世界のために貢献したいという高い志(大志)を持つことが特に大事です。そして自分の理想への使命感をしっかり持ち、世の中の一隅を照らす人になること、そのためには世の中の動きをよく勉強し、自分の得意分野を持ち、この分野では負けないという実力をつけることです。お客様を喜ばせたい、世の中で困っている人を助けたい、人の為に頑張るとエネルギーが大きく出るものです。

「情熱が無ければ、夢のある大きな仕事は成就できない」。
「常に改善・向上し、学び続けようとする姿勢を持ち、また自分だけの力で成功したとおごらない謙虚な心を持つ。周りの人に感謝できる心の余裕や、小さなことに感謝できる心を持つ」こと。「喜び上手は幸せ上手」になる。「愚痴をこぼすと幸せが逃げる」。仕事中いつも愚痴を言う人には人が寄りつかないものです。仕事で大きく伸びる人は皆、素直な心を持っていて、人の意見を先入観なく受け入れてから自分なりに信念に基づき、応用できる人です。

12.経営者は、直言してくれる人を大事にし、自らの過ちに気づく

 経営者は「お山の大将になりがち」です。トラブルや不祥事や顧客からのクレームなど悪い情報は部下が忖度して中々報告せず、どうしようもなくなってから報告することが多いものです。

 経営者は心して、まだ生煮えでも、悪い情報はまずは一報をあげさせ、原因の究明や再発防止はその後進めることで良いとしなければいけません。部下が悪い情報を早く報告しようとしたのに、社長がその際、「どうしてこんなことになったのか」「原因はどうなっている、だれの責任だ」「どうしたら再発を防げるのか」を同時に言ってどなってしまうと、実態把握、原因究明、再発防止策を作ってからでないと怖くて社長に報告できなくなります。

 普段から社長には、直言してくれる部下を大事に尊重すべきです。社内にそういう人がいるのが望ましいですが、ケースバイケースで、社外の人、例えばコーチングやコンサルタントや社外取締役などに、悩んだ時に相談でき、悩んでいなくても自らの振る舞いにこうしたほうがよいと気づきを与えてくれる人が必要です。欧米では社長専属の社外のプロのコーチがついていて、月に1回程度、2時間程度対話をして、社長との対話により会社の課題や自分の心の葛藤などをさらけ出し、自分の心を見つめ直し、心の奥にある潜在意識を掘り起し、気づかせ、欲を取り除き、垢を落とすコーチングが一般的になってきています。

 人は知らず知らずのうちに他人に迷惑をかけていたり、部下の心を傷つけていたり、自社の製品やサービスを過信し、お客様に対し上から目線になっていたりします。時には経営者も業績重視のあまり、コンプライアンスにグレーでも、目をつぶり暴走するなど誤りを犯しがちです。
「人は誤りを犯すもの」という前提に立てば、考え方が間違っていることを指摘してくれる部下や第三者を身近に持ち、自ら過ちに気づく環境作りと度量が重要です。

13.会社や組織に入ったら自分の力を自分で評価してはいけないと部下を指導する

 部下には、会社に入ったら、自分の能力の評価は自分でするものではなく、他人が評価するものと教えることです。組織や周りの人からどれだけ必要とされているかが評価の基準になるのです。自分で自分の能力は高いと評価しているうちはまだまだといえます。

部下の中には「私はこんなに実績を挙げているのにどうして昇進できないのか」などと言ってくる人がいます。しかし会社は本人の実績だけではない部分を上司や周りの目や人事部の目でじっくり観察しているのです。具体的には、新しいことに挑戦しているか、情熱があるか、逆境での粘り強さがあるか、企画実現力、反対派を説得し他の人を巻き込んで結果を出すリーダーシップ、協調性、豊かな人間力を持っているかどうかなどを総合的に見ているのです。その辺を若いうちにきちんと教え込むことが大事です。

14.経営とは革新と伝統の連続である

 日本の企業で創業から100年以上続いている長寿企業は、33259社(2019年)あります。これは世界1位です。創業200年以上の企業も2018社あり、世界2位のドイツより多いです。さらに創業1,000年以上という企業は7社もあり、最も古い会社は、聖徳太子に命じられて四天王寺の建立に携わった宮大工の会社で金剛組であり、実に1441年の歴史を有しています。日本の企業は歴史の古さでも、社数でも世界第1位なのです。

 重要なことは、「変化をさせてはいけない伝統を守りつつ、時代や顧客のニーズの変化に合わせて革新を常に行う」ことです。時には初心に戻ることも大切です。その理由は、創業期には必ずなにか優れたところが存在したはずだからです。そのような長所がお客様に受け入れられたからこそ、今日の隆盛とブランドがあるのです。

 創業5年以内に35%が消え、創業50年を迎えることができる企業は5%となっています。近年は廃業率のほうが開業率よりも上回っているので、企業数は減少傾向にあります。創業から現在までの企業の平均業歴年数は40.5年です。
経営とは革新と伝統の連続であると、考えて仕事をしていくことが大事です。
時代の変化、お客様のニーズの変化、環境の変化に柔軟に対応し、それまで培った技術やサービスを活かしつつ、全く新しい商品の開発や新規販売の開発など革新的な経営をしてきたので、存在価値のある会社として生き残ってきたのです。「革新」と「老舗」は矛盾するものではなく併存できるものです。

 羊羹など高級和菓子で有名な虎屋は、創業が1562年と室町時代です。1560年に桶狭間の戦いがあり、その2年後に創業しました。実に織田信長が今川義元を破った頃です。業歴は457年にもなります。
室町時代から歴代天皇や宮家への御所御用菓子屋として京都で定着し、「みやび」な文化を伝える和菓子として評価を確立してきました。明治に天皇の東京遷都に伴い虎屋は東京に本店を移しました。 経営理念は「おいしい和菓子を喜んで召し上がって頂く。和菓子を通して日本の文化や魅力を伝える」ことにあります。虎屋は終戦後の物不足の頃は、羊羹の材料も機械もないので、喫茶店とパン屋をやってなんとか生き延びてきたのです。

 虎屋は伝統の味であるあんこをベースにした和菓子に安住することなく、時代や若い人にもっと受け入れてもらうよう常に革新を図っています。例えば六本木ヒルズ内にある「TORAYA CAFÉ」がそうですが、そこでの菓子のコンセプトは「和と洋の良さを引出しながら、和菓子のアイデンテティーを持ったケーキや菓子」です。例えば、あんとチェコレートを混ぜたパウンドケーキのような「あずきとカカオのファンダン」の味はおいしいです。また抹茶とホワイトチェコのソースがかかった「豆乳と白小豆の葛ゼリー」も人気があります。形は洋菓子でも、和菓子の伝統である「あん」や「小豆」が活かされています。
虎屋は、単に流行を取り入れるのではなく、新しいものを取り入れながらも、その本流や伝統を変えずに創意工夫し、現代に合った和の価値を発信していくという意気込みがあります。「伝統は革新の連続である」との理念を有し、常にイノベーションを繰り返しています。
1805年に作られた「掟書」(おきてがき)には、社員は製造の品質の維持や社員同士のチームワークや指導教育の徹底と自己研鑽など自主性も重んじることが書かれてあり、そうした家訓を守りつつ、時代の変化に対応してきたのです。常に「革新」を続けてきたので、「老舗」企業として生き残ってきたところに経営のヒントがあると思います。

略歴

氏名
佐藤 武男(さとうたけお)  1954年、東京都出身、64歳、

職務
グローブシップ株式会社 常務取締役 管理本部長:ビルメンテナンスサービス
グローブシップ・ソデクソ・コーポレート(株)取締役:フランスの企業との合弁会社
株式会社保全エージェンシー 代表取締役社長:工事など損害保険の代理店業務
   
学歴
1978年3月、慶応義塾大学法学部政治学科卒業、マックスウエーバー研究、政治理論
1985年3月、慶応義塾大学大学院経営管理研究科修了、修士(MBA取得)銀行派遣

主な業務経歴
1978年 三菱銀行(現在三菱UFJ銀行)入行
    東京駅前支店、浅草橋支店勤務にて貸付、預金、外為に従事
1985年 国際企画部、調査役(海外戦略、収益施策・管理ほか)
1987年 香港支店企画管理課長(計数企画、店舗企画、総務、経理、事務等)4年
    九龍支店非日系課長(華僑取引推進等)2年
1993年 国際業務部 総括グループ次長(貿易業務の企画や営業推進ほか)
1997年 ロスアンゼルス支店 副支店長、ユニオンバンク部長兼務(日系部門)
2003年 グローバルサービスセンター 所長(貿易の事務、管理、与信、貿易システム等)
2006年 三菱東京UFJ銀行 外為事務部 理事 部長(貿易業務の企画、事務管理等)
2009年 三菱東京UFJ銀行退職、株式会社ビル代行入社、常務取締役
2010年 ビル代行 常務取締役 管理本部長
2015年 グローブシップ株式会社(社名変更) 常務取締役 管理本部長、現在に至る。
2016年 グローブシップ・ソデクソ・コーポレート(株)取締役兼務、現在に至る

所属の研究学会
「日本貿易学会」、「国際商取引学会」、「国際ビジネス研究学会」 正会員

主な著書等
・佐藤武男ほか共著(2014)『新 貿易取引―基礎から最新情報までー』経済法令研究会
・佐藤 武男・中村中共著(2013)『貿易電子化で変わる中小企業の海外進出』 中央経済出版社

趣味
水泳(大学時に東日本学生選手権で背泳3位)、旅行(国内外)、学生指導、ギター弾き語り

その他
国際経済や外国為替論や経営学などについて、週末に大学で講義なども行っている。

Photo M.Uchida