11.09
【本のご紹介】中国古典「一日一話」-世界が学んだ人生の参考書-
僕は、毎朝、「一日一話」先哲の良書を読んで、その日の仕事に向きあっている。
昔の日本の人が語っているところの「人生の実学書」の多くは、中国の古典からの引用である。
本書も、中国の古典の引用である。そこに中国古典の第一人者と私う守屋洋氏の解説が加えられている。そこが面白い。そこが無くては駄目なのだと思えるほど、守屋氏の「一言」は、私の「心根」をさっぱりとさせてくれる。
何事にも、書いてあることや教えてもらったことを「鵜呑み」にしてはいけないと、私は、自分に言い聞かせて生きた。芸のお稽古事にあるように、「守「破」「離」が大事であるから、「素直に聞く」は初心者には大切である。それを「破り」そして「離れる」ことは、成長の段階には必要だ。
「離」のあとに「守」がくることは、「初心忘れべからず」のことわり通り、「離」まで進んだときこそ、「初心の頃の自分」と「成長した自分」との葛藤が必要だということを表していると思う。
何でも自分の思い通りになったら成長は無い。やはり、成長したときこそ、初心の頃の学びのあり方、つまり、「自分は足りない」という姿勢、そこから求め続ける心や繰り返しの動きが、さらなる成長を促してくれるのだと信じている。
「成長した自分」にとって「初心」は邪魔になりやすい。
私も、そのことを毎朝、自分に問いかけている。「自分は、まだまだぞ」。
その心にしてくれる一冊だ。
180の項目があるが、締めくくりの「見違える成長のひみつ」に、私たちへの大事なメッセージが込められていると感心している。
昔の中国の呉に呂蒙(りょうもう)という将軍がいた。呂蒙は無学無教養であったが、戦だけはめっぽう強く、将軍の位についた。
しかし、いやしくも将軍ともなれば無学無教養では困る。心配した上司が兵法や歴史の書の勉強を進める。一念発起した呂蒙は、猛勉強の甲斐あって、実践だけではなく理論にも強い将軍へと見事な成長を遂げた。
その時、先輩が、「呉下の阿蒙に非ず(ごかのあもうにあらず)」と語ったという。
「昔、呉の都にいたとこの蒙君ではなくなったわい」と、よくもまぁ進歩したと賛辞を送っている。
「呉下の阿蒙」とは、これから転じて「進歩にない人間」という意味になるが、今のサラリーマンや社長等も、さかんに勉強会に参加してはいるが、目先の情報ばかり追いかけているようだ。どうせするなら、呂蒙のように古典や歴史書にじっくり取り組んで、本当の自己啓発につながる勉強をしてみては、とまとめている。
さすが、中国古典と言えば守屋洋先生。現代の企業経営者に大事なことを教えてくれている。
本のご紹介
著・守屋 洋
本体価格1,300円+税
三笠書房